今日の天声人語「検証 ナチスは良いこともしたのか」について

遂にというか、やっとというか、本日(12月17日)の朝日新聞天声人語」に本書が言及された。「ホロコーストは悪だが、ナチスはいいこともしたのではないかーいまの世にくすぶる不穏な問いに真っ向から答えた書」とのことである。いかにも朝日らしいが、ナチスに対する全肯定はもちろん全否定の姿勢も危険であるという感覚はないのだろうか。全否定による一切の批判の封殺の懸念。

 

ナチスは良いことをしたかもしれないが、総体としては悪である”というのが世の大方の意見だと思うのだが、本書はこれを間違いと全否定する。少し前に、”グローバル化”という言葉が蔓延し全肯定されたが、今ではその弊害・批判が出ている。事程左様に物事に対し無批判に全肯定・全否定する姿勢というのはまことに脆く危うい。

”健全なる常識”こそいま最も求められているのであって、いずれか極端に偏った意見には弊害も多いことを知るべきではないか。また、専門家の知見を持ち上げているが、それがいかに当てにならないかは東電の原発事故やコロナの対応をみても明らかである。特に、学問が細分化・専門化している現状では、専門家の知見というのも視野狭窄に陥った歪んだ議論も少なくないということを知るべきであろう。

 

本書については、ナチスに対する全否定の姿勢とともに、次の二つの点で疑問がある。

一つは、ナチ体制・政策の全否定論が正しいとして、どうしてドイツ国民の支持が得られたかということに答えていない。

なにゆえにナチスドイツ国民から多くの支持を得、国民を戦争にまで引きずり込むほどの力を持ったのか、その原因・背景は何だったのか。巧みな宣伝と暴力を駆使したナチスの飴と鞭の政策によって国民の支持を得たとするのは余りにナイーブな議論。本書が若い読者を対象とする入門書的なものであればなおのこと、少なくともこの疑問に多少とも答えない限り本書は底の浅い善悪論を若者に押し付けるだけではないか。石田勇治著「ヒトラーナチス・ドイツ」(中公新書)では、悪名高い反ユダヤ政策について「ユダヤ人は人口の1%にも満たない少数派で」「ユダヤ人の運命は当時の大多数のドイツ人にとってさほど大きな問題ではなかった」(同書p.290)と指摘している。事の真偽は別として、こうした当時の社会状況にも言及すべきであろう。

 

もう一つは、著者たちが「whataboutism」 (p.110)と「中二病的」(p.111)という言葉を使って本書への批判を封殺しようとしているようにとれること。ナチ体制の本質・歴史的位置づけを考える上で他の事例と比較考究する事は非常に大切な視点だし、当然と思う。「中国の人権問題を持ち出して、ナチス戦争犯罪を相対化する」のは「悪の相殺」(p.110)であるとして切って捨てる姿勢には疑問を感じる。

 

評者は歴史修正主義に与するものではないが、著者たちが「ならず者国家としてのナチ体制」(p.113)という決めつけのもとに議論を展開している姿勢には疑問を禁じ得ない。”検証”と言いつつ、実は確証バイアスに侵された本ではないかと危惧する所以である。