「日本の戦争はいかに始まったか」は歯痒い議論が多かった

「日本の戦争はいかに始まったか」波多野澄雄・戸部良一編 2023年刊 新潮選書 の書評


連続講義 日清日露から対米戦までというサブタイトルで8名の歴史学者が日清・日露戦争から始まり太平洋戦争までについての講演録である。


その中で、興味のある点についてのみ述べたい。

 

まず、第一次世界大戦(第2章)について。小原淳早大教授。
参戦国が激しい対立を示していなかったという点で、明確な国家意思としての参戦というよりも偶発的な連鎖で起こったとする「夢遊病者たち」(クリストファー・クラーク著)の紹介が主で、あとはこの戦争が総力戦という概念を生んだことをさらりと言及している。
しかし、本書の趣旨からすると、第一次大戦のもたらした日本への影響についての議論をもっとしてほしかった。
日本では、川崎造船が船舶特需で莫大な利益を上げ、(その結果、松方コレクションができた)、政府も火事場泥棒よろしく“対支二十一か条”要求を中国に行うなど、大方にとってこの大戦はまさに”天祐”であり金儲けのビッグチャンスであり、”対岸の火事”でしかなかったように思う。他方、軍部にとっては、軍事思想が総力戦概念へと一大変質をし、今後の戦争が国力の差に大きく依存すること、そうした状況で日本の国力は欧米に比し圧倒的に劣位にあるという認識を一部軍人に与えた戦いであった。それが石原莞爾の世界最終戦論にもつながった。この観点からすると、ロンドン軍縮条約に国を挙げて猛烈な反対をしたことはまことに奇異な現象に思える。国力の劣る日本にとって無制限な建艦競争に資源を浪費するより国力の増進に努めるほうがはるかに合理的であったはず。(五大国日本という)世論の高揚感が軍縮条約反対をあおったのであろうが、(石原のように)第一次大戦の教訓を正当に理解した軍人が海軍を含め少なかったことが大きな要因であったように思う。

次に、満州事変について。(第三章)井上寿一
井上は、満州事変は”外からのクーデター”であり、政府の1930年の日華関税協定が満蒙の切捨て策として関東軍の反発を生んだのがその原因とする。本書で不思議なのは満州事変の経緯のみを議論するだけで満州国の成立と絡んでの議論がないこと。事変後僅か1年で満州国が建国された事実は、事変が明らかに満州領有(現実には満州国の建国)を企図して行われた証拠であり、関東軍さらには軍部にも総力戦対策という構想が根底にあった。この点を見逃しては満州事変の意味が理解できないはず。そのことをもっと強調してほしかった。

 

最後に、対米開戦の引き返し不能点についての議論。(第9章)
本書の学者たちが、その転換点を韓国併合であったり、南部仏印進駐、三国同盟締結、日米交渉、さらには嶋田海相の対米戦への海軍同意時などを挙げているが、そんな議論にどこまで意味があるのか正直疑問である。後付けの議論としては面白いかもしれないが、当時の状況を考えれば、結局、対米戦は不可避であったように思う。
そういう開戦回避に関する不毛な議論より、開戦劈頭の真珠湾攻撃の意味について考えたほうがより生産的ではないか。真珠湾奇襲の成功が日本及び日本国民に異常な成功体験を抱かせてしまい、それがずるずると戦争を長引かせる大きな原因になったと思う。真珠湾奇襲の成功なかりせば、戦争はもっと短期かつ犠牲も少なく終結したのではないかと思う。将来展望もなく博打的作戦を強行したことの是非についてもっと議論されてよいように思うのだが。