適菜収「安倍晋三の正体」を読む 安倍の国葬について

安倍については本書の指摘以外にも、アベノミクスの弊害や官僚人事の独占による官僚の堕落の招来など批判すべき点は枚挙に暇がない。特に、日銀黒田を使って日銀の中立性を破壊し低金利政策と財政垂れ流しで世界に冠たる国家債務を積み上げた罪は重いと言わざるを得ない。しかし、彼の在世中はメディアをはじめ批判の声は少なく、私のまわりにも安倍礼賛者が沢山いた。しかも、それなりの大学を出たインテリおじさんたちも結構いた。
そんな中、安倍は暗殺による死後、国葬となった。戦後、吉田茂国葬となったが、彼と比べてろくに政治的功績もなかった男が国葬になったのだ。確かに、暗殺というのはショッキングではあるが、戦前には原敬はじめいくらもあった。そんなことが国葬の一因とすれば、まことに滑稽と言わざるを得ない。
戦前、山本五十六国葬となった。すでに負け戦の状態でとても国葬に値するような男でなかったが、国民へのフェイク情報(真珠湾からわずか半年でミッドウェイで大敗した事実の隠蔽など)と国威発揚目的とで国葬となった。
山本の場合、政治的意図を持った国葬であったが、安倍の国葬は一体何のためだったのだろう。単なる安っぽい政治ショーだったのだろうか。安倍政治の無茶ぶりを締めくくったのが国葬という茶番。時の政治家、メディア、そして日本国民は自らの無定見さを思うとともに、今もそれが続いていることを認識すべきではないだろうか。