「検証 ナチスは良いこともしたのか」を読む


「検証 [ナチス]は「良いこと」もしたのか?」 小野田拓也・田野大輔共著 岩波書店 2,023年刊 書評
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朝日の天声人語での言及についてのコメントに加え、もう少し本書についての感想を詳しく書きたい。

 

フェイクニュースヘイトスピーチなど現代の風潮を考えるとタイムリーな本であり、それなりに売れていることは結構なことと思う。しかし、タイトルは、著者たちが批判する「売らんかなで出版される一般書のセンセーショナリズム」(p.112)そのもののような気もしないでもない。

さて、内容であるが、著者たちはナチスの政策をオリジナリティ、政策目的、結果という切り口で検証していく。
そして、オリジナリティーについては、ナチスの政策は前政権の功績で独自の政策の成果はなかったとし、政策目的については、すべて戦争準備という不純な目的のためのもの、また、結果については、誇張された宣伝と女性の職場からの排除や徴兵制などによる見せかけによるもので、雇用政策・経済政策・公共政策などいずれも言うほどの成果はなく、逆に反ユダヤの推進など負の面が隠されていた、としてナチスの政策について全否定する。
こうしたナチスに対する全否定は、「ナチスは・・・こうあってはならないという絶対悪であり、そのことを相互に確認しあうことが社会の歯止め」になる(P.3)という著者たちの強い信念からきている。その気持ちはわからないでもないが、ナチ体制を「ならず者国家」(p.116)と断じるなど著者たちの主張は冷静さを欠いた感情的批判ととられても仕方がない部分があるように思う。オリジナリティがなく、目的が不純でも、短期的にはそれなりの成果があったと評価される政策はいくらもある。そうした面を、すべて戦争準備のための政策として否定するのは余りに一面的と思う。
本書を貫くナチス体制・政策の全否定論が、一つの歴史的事実に対する解釈として果たして正しいのかという素朴な疑問が残らざるを得ない。

さらに本書に関して次の二つの疑問点がある。
一つは、ナチス体制・政策の全否定論が正しいとして、どうしてドイツ国民の支持が得られたかということ。
なにゆえにナチスドイツ国民から多くの支持を得、国民を戦争にまで引きずり込むほどの力を持ったのか、その原因は何だったのかについて何の言及もない。「多くのドイツ人がナチ体制を支持するに至ったすべての要因について検討を加えることは、本書の限られた紙幅では困難」(p.33)と言うが、本書の論調からは巧みな宣伝と暴力を駆使したナチスの飴と鞭の政策に国民がからめとられてしまったとナイーブに理解する読者も多いのではないか。本書が若い読者を対象とする入門書的なものであればなおのこと、少なくともこの疑問に多少とも答えない限り本書は底の浅い善悪論に終わるだけではないか。石田勇治著「ヒトラーナチス・ドイツ」(中公新書)では、悪名高い反ユダヤ政策について「ユダヤ人は人口の1%にも満たない少数派で」「ユダヤ人の運命は当時の大多数のドイツ人にとってさほど大きな問題ではなかった」(同書p.290)と指摘している。事の真偽も含めて、こうした当時の社会状況の指摘との関連にもっと言及すべきであろう。

さらに、もう一つの点は著者たちの主張が独善的、かつ視野狭窄的な主張と思える事である。
著者たちは、「whataboutism」 の論法(p.110)と「中二病的」反抗(p.111)という言葉を使って本書への批判を封殺している。不勉強・無責任な批判に対し専門家として辟易しているのかもしれないが、自分たちの主張への一切の批判を封殺しているようにもとれる。「中国の人権問題を持ち出して、ナチス戦争犯罪を相対化する」のは「悪の相殺」であるという趣旨はわからぬでもないが、中国の人権問題とナチス戦争犯罪を比較して論ずること自体をも否定しているようにもとれる。

以上の評者の批判は、単なる誤解であり考えすぎかもしれない。しかし、それが著者たちのナチス体制は「ならず者国家」だという扇情的でおよそ学者らしからざる表現に対する率直な反応であり、”検証”と言いつつも最初から「ならず者国家」という結論ありきの確証バイアスに侵された本ではないかと危惧する所以である。